(190) 21・04・19 根津谷

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4月、本郷台に咲くツツジ

 本郷台と上野台(上野の山)の間を根津谷といった。昔むかし、江戸湾の入海(いりうみ)が入り込んでいて、本郷台に上がる船着場あたりが根津だったのだろう(不忍池は入海だった名残り)。
 日本武尊(やまとたけるのみこと)が創建した社(やしろ)に太田道灌が社殿を奉建。いつしか門前には遊郭ができ賑わったとある。明治維新の戊辰戦争の時は、本郷台(加賀藩上屋敷)に大砲を据えて、上野山に立て籠もる彰義隊に照準を合わせた。


 徳川綱重(第5代将軍綱吉の兄)の子・家宣(いえのぶ、綱吉の甥)が第6代将軍となるにあたり、その産土神(うぶすながみ)として綱重(つなしげ)の屋敷地(ツツジの名庭)を献納し、権現社が五百メートル北の千駄木からここに遷座(せんざ)された。三百年前の1706年のことであった。それが現在の本郷台の斜面に咲く根津神社のツツジ苑というわけ。

根津神社の本殿も楼門も漆塗工事のためシートで覆われていた。去年の7月から少しずつ漆塗工事を進めているが、今年9月までには終えるという。

根津谷は幅約500mで、その真中を不忍通りと地下鉄千代田線が走っている。かつては王子駅付近で石神井川と分岐した谷田川(藍染川)が不忍池に流れ込んでいた。

門前の遊郭は、本郷台の加賀藩上屋敷に東京大学ができた為、明治21年に洲崎に移転した。吉原と共に繁盛したが、昭和18年、海軍の要請で石川島造船所の工員宿舎にそっくり買収された。昭和20年、米軍の空襲で灰燼と化した。

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5月、上野台に散る彰義隊

 徳川慶喜は1868年2月に新政府に恭順(きょうじゅん)の意を表し、寛永寺に蟄居(ちっきょ)した。同月、彰義隊(しょうぎたい)結成。旧幕府は彰義隊の存在が新政府に対する軍隊組織と受け取られることを恐れ、そうかといって放っておくわけにもいかず江戸市中取締に任じた。4月に江戸城は無血開城となり、徳川慶喜は水戸へと退却したが、彰義隊は寛永寺に留め置かれた。

渋沢成一郎は、天野八郎率いる彰義隊を離脱して田無に移り、振武軍を結成。

 西郷隆盛が組織した御用盗は、江戸各地で放火や強盗を起こし、それを彰義隊になすり付けた。そのことから彰義隊と新政府軍兵は小競り合いとなった。5月、新政府は彰義隊に武装解除を通告するも、かえってそのことで彰義隊との衝突が頻発した。そこで新政府は武力で鎮圧することを決定。 

 1868年7月4日(慶応4年5月15日)、大村益次郎 指揮する新政府軍は接収した幕府の弾薬貯蔵庫から大量の弾薬を運び込み、寛永寺一帯に立て籠もる彰義隊を包囲。
 向かいの本郷台には佐賀藩の反射炉で製造した2門のアームストロング砲(後装施条砲)を設置。距離 『 5町半!(600m)』 ドド~ン、ドド~ン。砲弾は根津谷を飛び越えて彰義隊を粉砕。西郷隆盛は上野広小路から突撃。彰義隊は瓦解、1日で散ったのであった。


彰義隊(しょうぎたい)は 「大義を彰(あきら)かにする」 という意味で付けられた。
「彰義隊の墓」は西郷隆盛の銅像のすぐ近くにある。ここで上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員の火葬がおこなわれた。

幕府への不信感を江戸市民に植え付けるため、薩摩藩は密かに御用盗を組織して市中を横行させ、放火、強盗など汚い手をつかった。
さらに汚い手として、大村益次郎の秘密作戦がある。会津藩からの援兵だと偽って「會」の旗印を掲げ上野山に入ると、突然「會」の旗を下して長州の旗を掲げ、黒門口の守備隊を背後から銃撃した。このことは、漏れたたった1枚の瓦版から発覚した。

大村益次郎(1824~1869) : 長州藩の医師、兵学者で事実上の日本陸軍の創始者。戊辰戦争の功績により新政府の幹部となり軍制改革を進めた。戊辰戦争での新政府軍の戦死者を慰霊するため東京招魂社(靖国神社)を建立した。明治2年、急進開化主義に反対する刺客に暗殺される。享年45。靖国神社の中央に銅像が聳え立っている。

新政府軍は和田掘(杉並区永福1丁目)の幕府・弾薬貯蔵庫(焔硝蔵)を接収し、その大量の弾薬を上野戦争や会津戦争に使った。かつての焔硝蔵(えんしょうぐら)は明治大学の和泉キャンパスと築地本願寺の和田掘廟所(びょうしょ)になっている。近くに京王線・明大前駅(大正6年、火薬庫前駅から改称)がある。

イギリスは1863年の薩英戦争でアームストロング砲に欠陥があることが分かり廃棄した。廃棄したアームストロング砲は南北戦争(1861~1865)中のアメリカに輸出され、南北戦争が終わると今度は幕末の日本に売却された。
幕末、肥前藩(佐賀藩)はアームストロング砲をほぼ自力で完成させ、初めて上野戦争で使用した。

戊辰戦争(ぼしんせんそう、1868~1869) : 明治新政府が江戸幕府勢力を一掃した1年半にわたる我が国最大の内戦。鳥羽伏見の戦いに始まり上野戦争、会津戦争、箱館戦争にいたる内戦を総称して戊辰戦争という。1868年の干支(えと)が戊辰であることから名付けられた。

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(チビの日記!!チビのお出かけ 190 )
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by chibi-papa | 2009-04-19 23:00 | チビのお出かけ  

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